もの分かりのいい大人

言いたいこと、言うべきことが言えない、言わない、物わかりの良さが必要以上に評価されていないでしょうか?物わかりのいい「大人」ということになっていないでしょうか?

分かったふり、問題がないふり、いじめを見ても見て見ぬふり。そうしているうちに、いいように丸め込まれていく。仕事のクオリティもただ下がり。

たいがい、同調圧力のせいということになっています。忙しい毎日、省エネルギーな生き方でもあります。

でも大切な局面ですら食い下がることをせず、ただいろいろなものをスルーして、あとにいったい何が残るのか?

たまに猛烈にモヤモヤします。

自分の意見を主張すると脅迫されるような国で、投獄や拷問の憂き目にあってもなお声を上げ続ける人たちがいる。そして、そんな彼らを国境を超えて支援する人たちがいます。

https://www.amnesty.or.jp

いろいろ信じられない時、見ず知らずながらこういう人たちがいることに希望をおぼえます。人は信じられるんだなと。

ここにあって自民党が大敗しましたね。日本でも、少しは何かが変わってきていると思いたい。いい意味で、もの分かりの悪い人でありたいなと思います。