人間活動に由来する温室効果ガス(GHG)をゼロにしたとしても、温暖化が止まる保証はないと思っています。
実際、人間が活動を始めるよりずっと前、太古の昔から地球は温暖化したり寒冷化してきたわけで。
それを、地震や台風ですら予知、阻止できていない人間が止められると考えること自体がおこがましいというか、相当な無理がある。
ただ、温暖化対策の取り組みを全否定するつもりはありません。技術開発の原動力として意味はあると思っています。
GHG排出量の計算も、時間労力を費やす意味がどこまであるのか疑問だったのですが、データ活用や標準化への対応を考えると、それなりの意味はありそうです。
こうした試みの推進に「止められる前提」が必要だから敢えてこの状況、ということならいいんです。
綺麗ごとを真に受け過ぎ、本質的でない頑張りをしている間に同級生たちに抜けがけされた、みたいな展開にならないといいなと。
現に、再エネ推進、原発廃止のドイツは電気料金の高騰に悩まされ、電気利用も周辺国の化石燃料ありき(フランスの原発由来を含む)という実態があるそうですし。
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温暖化対策がされようがされまいが、個人的になにか不利益を被るわけではないんですけどね。
GHG排出量計算の複雑さに「これホントにやるつもり?」と舌を巻くことがありまして、そもそも論を考えたくなってしまいました。
化石燃料ビジネス側からのポジショントークではないです、念のため。